日本史上の位置付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 01:23 UTC 版)
古河公方が成立した享徳の乱は、応仁・文明の乱に匹敵し、関東における戦国時代の幕を開ける事件である。それまでの政治体制が大きく動揺し、新興勢力の後北条氏が台頭する遠因ともなった。 従来、関東における戦国時代については、後北条氏を軸にして捉える傾向が強く、後北条氏以前の実態には関心が比較的低かった。しかし、近年の研究により関東諸豪族から鎌倉公方の嫡流とみなされた古河公方を頂点とする権力構造が存在したことが明らかになっている。 後北条氏の関東支配は古河公方体制に接触し、その内部に入り込み、やがて体制全体を換骨奪胎、自らの関東支配体制の一部として包摂する過程であった。
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