日本アマチュア野球協会時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 15:00 UTC 版)
「全日本野球協会」の記事における「日本アマチュア野球協会時代」の解説
社会人野球と学生野球は戦前からそれぞれが独立して組織・運営されてきた。 第二次世界大戦が終結したあともしばらくは両者の関係は全く無縁のものであったが、1954年にアジア野球選手権大会が開催されることを契機として、国際試合への代表チームを組織、また国内での国際大会運営にあたる組織が必要であるという認識から、同年に日本アマチュア野球協会が組織された。 この組織のもと、第6回アジア野球選手権まで社会人3回、学生2回、混成1回という形で代表チームを派遣してきたが、日本アマチュア野球協会をアマチュア野球界の統轄組織にしようとした動きに学生野球側が反発、1966年に脱退を表明、同協会は解散することとなった。
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