日本アマチュア野球国際委員会時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 15:00 UTC 版)
「全日本野球協会」の記事における「日本アマチュア野球国際委員会時代」の解説
日本アマチュア野球協会は解散することとなったが、国際大会へ出場するには社会人野球と学生野球の統一チームを構成する必要があるため、より緩やかな連絡機関として、1967年に日本アマチュア野球国際委員会を構成した。同委員会はそれぞれの団体が共同で運営する付属機関という扱いとなっており、組織運営上も下部機関ということが明確になった。 野球が公開競技となったロサンゼルスオリンピックおよび1988年ソウルオリンピックへ代表チームを派遣するには競技団体は、日本体育協会に加盟している必要があった。しかし、同協会に加盟しているのは社会人野球側のみであり、社会人野球側組織の加盟者のみでチームを構成することも出来たが、過去の経緯や勝てるチームを編成する必要があるというアマチュア野球界の総意もあって、同委員会のもとで統一チームが結成され、派遣された。
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