日本から見たポルトガル人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 01:08 UTC 版)
「南蛮貿易」の記事における「日本から見たポルトガル人」の解説
17世紀の文献では、マカオからの船は「天川(あまかわ)船」や「南蛮船」と呼ばれ、「葡萄牙船」と呼ばれる船は登場しない。マカオ商人は「天川人」と呼ばれていた。これに対して同時期のオランダ東インド会社の船は「阿蘭陀船」と呼ばれていた。マカオからの船の乗員は多民族の構成だったため、国家として認識しにくかった。 南蛮貿易において、日本人が見たポルトガル人(南蛮人)の豪華な服装はほとんどがアラブ服であり、肩を張らせた上衣(じゅばん)はアラビア語のジュッバであり、大きくふくらんだズボンで丈が足首まであるシルワール(英語版)(ハレム・パンツ)もアラブ服である。南蛮文化において宗教以外の部分はアラブ文化の要素が非常に強い。
※この「日本から見たポルトガル人」の解説は、「南蛮貿易」の解説の一部です。
「日本から見たポルトガル人」を含む「南蛮貿易」の記事については、「南蛮貿易」の概要を参照ください。
- 日本から見たポルトガル人のページへのリンク