日の称の由来
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東南海の外の羲和が十日を生んだことに因んで炎帝の時より暦法官を日官と称し、その十日族の子孫を日と称す。 『山海経』‐大荒西経「東南海之外,甘水之間,有羲和之國,有女子曰羲和,羲和者帝夋之妻,生十日」 『山海経』‐海外東経「湯谷上有扶桑,十日所浴」 『春秋左氏伝』‐桓公「天子有日官,諸侯有日御」 『荘子』‐「昔者十日並出,萬物皆照」 『淮南子』‐「武王伐紂,當戰之時,十日亂於上」 『史記』‐五帝本紀「堯乃命羲、和,敬順昊天,數法日月星辰,敬授民時,分命羲仲居嵎夷曰:暘谷,敬道日出,便程東作,日中星鳥,以殷中春,其民析,鳥獸字微。申命羲叔居南交,便程南為,敬致,日永星火,以正中夏,其民因,鳥獸希革。申命和仲居西土曰:昧谷,敬道日入,便程西成,夜中星虚,以正中秋,其民夷易,鳥獸毛毨。申命和叔居北方曰:幽都,便在伏物,日短星昴,以正中冬,其民燠,鳥獸氄毛。歳三百六十六日,以閏月正四時,信飭百官,衆功皆興」
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