旗本・茄子川馬場氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 07:24 UTC 版)
初代 利興 寛文元年(1661年)11月、甲斐国の巨摩郡の采地を改めて常陸国の河内郡・下総国の匝瑳郡・海上郡・香取郡の4郡に移される。延宝8年(1680年)6月19日卒去。 二代 利隆(藤十郎) 御書院番を務める。元文5年(1740年)8月卒去。 三代 利永(藤十郎) 養父利隆の後を嗣ぎ宝暦13年(1763年)11月卒去。 四代 利房(権六郎) 父の利永が多病の為、承祖相続し西丸御書院番を務め天明4年(1784年)10月卒去。 五代 利容(熊蔵) その後、数代が不詳。 明治維新の際に繁次郎が600石の中の茄子川村の275石を奉還した。(寛政重修譜・濃飛通史)
※この「旗本・茄子川馬場氏」の解説は、「茄子川馬場氏」の解説の一部です。
「旗本・茄子川馬場氏」を含む「茄子川馬場氏」の記事については、「茄子川馬場氏」の概要を参照ください。
- 旗本・茄子川馬場氏のページへのリンク