新発田延伸計画と国有化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 06:23 UTC 版)
1904年(明治37年)に新津 - 新発田の免許を再び得たが、「同区間の免許が失効すれば既成区間の免許も失効する。全線を公売または建設実費で政府または他の会社に売渡しても異議はない」という条件付であった。この区間は未成のまま引き継がれ、国有化後の1912年(大正元年)に開業している(現在の羽越本線の一部)。 1906年(明治39年)に鉄道国有法の成立により買収されることが決まった。業績が悪く評価額が低いため株主の損失が大きいとして衆議院に救済を請願したが、これは叶わなかった。線路138.1 km(未開業線25.5km)、機関車18、客車74、貨車298が引き継がれた。
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