文教地区の伝統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 06:05 UTC 版)
昌平坂学問所は江戸幕府直轄の教育機関として運営された。明治維新後も明治新政府のもとで、旧昌平坂学問所はまず昌平校、続いて大学校という教育機関として活用されたが、1871年(明治4年)には廃校となった。しかしその後も文部省の施設として活用されたり、東京師範学校や東京女子師範学校が開設されるなど、主に教育機関としての活用が続いた。江戸時代からの伝統を受け継ぐ文教地区の中で、湯島聖堂の東側の別名「団子坂」が主に昌平坂と呼ばれており、そして南側の「相生坂」もまた昌平坂とされている。
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