文徳朝
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嘉祥3年(850年)文徳天皇即位と同時に従四位下に叙せられる。文徳朝では当初散位となるが、仁寿2年(852年)但馬守に任ぜられて以降、刑部大輔、右京大夫を歴任し、文徳朝末の天安2年(858年)には従四位上に叙される。またこの間、仁寿3年(853年)には宿禰姓から朝臣姓を授けられた。 文徳朝では以下の事績を残している。 嘉祥4年(851年)北殿において文徳天皇に対して『文選』の講義を行う。 斉衡2年(855年)右大臣・藤原良房、参議・伴善男らと共に国史編纂を命じられる。 斉衡3年(856年)文徳天皇に『晋書』を講義する。
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