文世光事件と朴正煕暗殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:43 UTC 版)
「金大中事件」の記事における「文世光事件と朴正煕暗殺事件」の解説
この事件の責任を取って李厚洛は中央情報部長職を解任され、日本国内では反韓感情が高まった。その運動の中から総連系に唆された文世光(ムン・セカン)が朴正煕殺害を試み、陸英修(ユク・ヨンス)大統領夫人が死亡した(文世光事件)。この事件の責任をとって警護室長朴鍾圭(パク・チョンキュ)が解任された。 その後、中央情報部長に就任した金載圭が、警護室長に就任した車智澈(チャ・ジチョル)に対する反感から、朴正煕暗殺事件をおこし、朴政権の滅亡とその事件を率先して調査した全斗煥の台頭を生むきっかけとなった。
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