教育者、文化人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:13 UTC 版)
川島は教育界の発展にも貢献している。母校・専修大学の総長となって、専修大学の発展に尽くしたという側面も持っている(専修大学松戸高等学校の創立は地元出身の彼の主導による)。また、千葉工業大学の理事長も務めた。さらに中央学院大学設立に当たっては、川島の甥にあたる後の理事長となる平山善司氏の要請によって我孫子市の土地のとりまとめを行ったのも、川島によるものである。また日本プロレスリングコミッショナーを始め、日本学生卓球連盟会長、日本ボウリング協議会総裁、日本消防協会会長、江戸消防記念会名誉会長、江戸火消防存会会長、畠山みどりの後援会長など教育、スポーツ、文化、芸能の振興にも尽力し各分野の要職を務めた。プロレス界には今でも「川島が務めていた頃のコミッショナーはお飾りではなかった」と評価する声がある。1965年に勲一等旭日大綬章を受章、没した際に従二位に叙し勲一等旭日桐花大綬章を追贈された。
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