教育構想の破綻 逃亡者・死者・再上京拒否
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 08:32 UTC 版)
「開拓使仮学校附属北海道土人教育所」の記事における「教育構想の破綻 逃亡者・死者・再上京拒否」の解説
約2年のうちに、土人教育所側では1名死亡、3名が療養・入院。開拓使官園では3名が死亡した。 最終的に両施設あわせて脱走1名、死亡4名(生徒の死産した子を含めば死者5名)、病気帰郷3名の悲惨な結果となり、帰郷願いが頻繁に出されるようになるに及び、1874年7月、アイヌの希望を調査し、5名が開拓使仮学校へ進学、帰郷希望者25名のうち20名が帰郷・退学となり、5名が帰省となったが、5名も帰省後の復学に抵抗し、復学しなかった。
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