教育文化促進工作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/05 15:32 UTC 版)
使われていた抗日教科書は廃棄され、新しい教科書が配られ、また日本国・満州国・中国の親和精神の必要も説かれた。一方、民衆にも日本や日本語について学ぼうとする意識が高まり、それに応えて日本語の教科書や新しい音楽や歌が民衆に与えられた。このような活動により北京、天津方面をはじめ済南などにも日本語学校がいくつも生まれ、小さな街角にも日本語の本を売る露天が現れた。婦女宣撫員は家庭にある女性に対して働きかけ、手芸を教えて家庭の収入につなげようとする活動も行われた。 有害なデマに民衆が怯えることも宣撫班が対応しなくてはならないことだった。デマの影響を排除して民衆を指導するために演説、チラシやポスターに加えて新聞紙の発行も行われた。 地域の安定を示し、より一層の信頼関係を構築するために文化活動としての催し物も開催された。演芸会はもとより運動会や老人達のための敬老会も行われたまた宣撫官によらない映画、ラジオ、演劇による宣撫工作も行われた。
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