政治家・斎藤隆夫への支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 23:48 UTC 版)
但馬出身の内務省官吏桜井勉から桜井の書生であった斎藤隆夫を紹介され東京専門学校行政科(現早稲田大学法学部)などの学費支援などを行なった。斎藤はその後弁護士を開業、米国エール大学にも留学した(エール大学の同窓生という意味では原と斎藤は先輩後輩の間柄)。明治45年(1912)、第11回総選挙において、養父郡選出の衆議院議員佐藤文平の後継として原の旧知であった斎藤に白羽の矢が立ち、衆院議員に当選、政治家となった。政治家になってからも原六郎及び女婿原邦造による斎藤への支援は続いた。
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