越中公方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/06 05:30 UTC 版)
越中公方(えっちゅうくぼう)とは、明応2年(1493年)の「明応の政変」によって将軍の座を追われ、越中国射水郡放生津(現富山県射水市)へ落ち延びた室町幕府10代将軍足利義材、ないしは彼が放生津で樹立した亡命政権のこと。当時は越中御所の呼称も用いられた[1]。現在は放生津政権、放生津幕府、越中幕府[2]と呼ばれることもある。もっとも『大乗院寺社雑事記』明応5年1月1日の条[3]には「武家越中国御座 官領未補 侍所未補」とあって、管領も侍所も補任されていないことを伝えており、幕府と呼びうるだけの体制は伴っていなかった。
- 1 越中公方とは
- 2 越中公方の概要
- 越中公方のページへのリンク