提督への昇進と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/10 18:53 UTC 版)
「トマス・グレーブス」の記事における「提督への昇進と晩年」の解説
グレーブスはその後デフィアンスに移り、1801年4月2日のコペンハーゲンの海戦で、ホレーショ・ネルソンの副指揮官となった。この大事な海戦での働きで、議会から感謝の議決を受け、バス勲章を授与された。7月の終わりにかけて艦隊はバルト海を離れたが、この作戦中の大部分に健康を害していたグレーブスは、イギリスに戻って第一線から退いたが、1804年10月から1805年2月にかけて、ビスケー湾を航海したフードロイヤント(英語版)艦長のクリストファー・ネシャム(英語版)は、グレーブスの提督旗を自艦に掲げていた。グレーブスは1805年9月には中将となり、1812年8月2日に大将に昇進した。 グレーブスは2度結婚したが、子供は娘が1人だけだった。1814年3月29日、ホニトン近くのウッドバインヒルの自宅で死去した。
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