授与総数
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最初にナルヴィク盾章を受けたのはエデュアルト・ディートルである。 陸軍 - 2,755人(死後追贈96人) 空軍 - 2,161人(操縦士1,309人、落下傘部隊756人、死後追贈410人) 海軍 - 3,661人(駆逐艦乗組員2,672人、商船乗組員442人、死後追贈432人)
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授与総数
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「1941年/1942年東部戦線冬季戦記章」の記事における「授与総数」の解説
制定当初、授与対象となる戦線の範囲を定めた授与境界線(Verleihungsgrenze)は、ソ連邦領内のみとされていた。これはのちにウクライナ国境、オストラント国境、そして1940年時点のフィンランド=ソ連邦国境以東を含む範囲まで拡大された。すなわち、予備戦力や支援部隊として後方に展開していたドイツ軍および同盟国軍は授与対象とならず、またエーリッヒ・フォン・マンシュタイン将軍の元でクリミア方面に展開していた部隊も授与対象から外れていた。記録上、授与境界線以東に従軍した将兵はドイツ国防軍だけでも4,733,990名とされるが、実際に授与対象となりうる戦闘に従事したのは国防軍以外も含めておよそ2,000,000名から2,500,000名程度とされる。戦死者も授与対象であり、1941年12月31日時点ではドイツ国防軍だけで200,000人の将兵が戦死していた。こうした数字から、最終的な授与総数は2,500,000名から3,000,000名程度になると推測されている。
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