招木の渡し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/13 15:37 UTC 版)
和銅大橋が架けられている場所の直ぐ下流側には大正時代に開設された「招木の渡し」と呼ばれた渡船場が存在していた。渡船の管理運営は寺尾村招木地区が行ない、船頭は同地区の交代制とされた。船は両岸より縄等を張り、それを手繰りしていた繰船を運行していた。増水時は運休された。また、冬場の減水期は仮設の橋が架設され、その際は対岸の黒谷地区からも人足が手配されていた。渡船料は無賃であったが、昭和初期はお礼として5銭を払う人が多かった。この渡船場は上流側の1930年(昭和5年)の秩父橋(2代目)開通の他、下流側の1935年(昭和10年)の皆野橋の竣工の影響により廃止された。秩父市立博物館(現、秩父市立民俗博物館)に、この渡船で使用されていた船一艘が保存されている。
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