批儒教運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 12:39 UTC 版)
1919年、中国で『五・四運動』が起こったさいには、反孔子、反儒教がスローガンの1つになった。司馬遼太郎と陳舜臣は対談のなかで、批孔の人物として陳独秀、洪秀全(太平天国の首領)の名をあげ、さらに愛国運動とされる「五・四運動のときには、孔子の教えは国を滅ぼす、儒教は奴隷に対するモラルだとして、猛烈に批判がされたことを述べている。 また昔から李卓吾などが、孔子の弟子が悪かっただけで孔子は悪くないとする主張をしていたことや、康有為の『孔子改制論』では、「孔子は絶対だけれど、いまの儒教は孔子の教えではない。本当の孔子の教えは弟子達が変えてしまってよくわからないが、それを再構築しなければならない」とする主張だったことを述べている。
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