払い下げ後の中小坂鉄山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 13:46 UTC 版)
「中小坂鉄山」の記事における「払い下げ後の中小坂鉄山」の解説
中小坂鉄山の払い下げを受けた坂本弥八は、長野県の大日向鉱山とともに鉄鉱山経営に乗り出したが、やはり思うように経営がはかどらず、数年後には製鉄業は休止され、採鉱のみが継続されることになった。明治26年(1893年)、上信電鉄の創始者である小沢武雄が鉱山経営を引き継ぎ、その後も短期間で経営者が交代した。明治39年(1906年)になって休止されていた製鉄所の経営が再開されたが、明治41年(1908年)には製鉄所の操業は再び中止され、鉱山自体も翌明治42年(1909年)に廃業となった。そして中小坂鉄山のほとんどの製鉄所設備は大正7年(1918年)に撤去された。
※この「払い下げ後の中小坂鉄山」の解説は、「中小坂鉄山」の解説の一部です。
「払い下げ後の中小坂鉄山」を含む「中小坂鉄山」の記事については、「中小坂鉄山」の概要を参照ください。
- 払い下げ後の中小坂鉄山のページへのリンク