才田修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/23 00:17 UTC 版)
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府 |
| 生年月日 | 1952年7月18日(71歳) |
| 身長 体重 |
170 cm 65 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 1970年 ドラフト5位 |
| 初出場 | 1971年5月1日 |
| 最終出場 | 同上 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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才田 修(さいた おさむ、1952年7月18日 - )は、大阪府[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
来歴・人物
北陽高校では1970年、3年生の時にエース永井春夫を擁し、二塁手、三番打者として春の選抜に出場[1]。準々決勝では岐阜短大付の湯口敏彦投手を打ち崩し、準決勝では笹本信二のいた鳴門高を降す。決勝では箕島高と対戦。永井と島本講平との投げ合いとなるが、延長12回裏4-5×でサヨナラ負け、準優勝にとどまる。才田は大会第4号本塁打を湯口から記録した。同年夏の甲子園府予選でも決勝に進出するが、PL学園の新美敏投手に抑えられ敗退。春夏連続出場はならなかった。高校同期には神垣雅行、松岡高信がいる。
1970年ドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受け入団[1]。俊足好打のチャンスメーカーとして期待され、1971年、1972年のジュニアオールスターゲームに内野手として連続で選出される。しかし一軍では代走での出場1試合のみに終わった。1974年限りで引退[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1971 | 阪神 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
| 通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
背番号
- 52 (1971年 - 1974年)
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 才田修 - NPB.jp 日本野球機構
固有名詞の分類
- 才田修のページへのリンク