船見信幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 02:20 UTC 版)
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国籍 |
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出身地 | 岐阜県 |
生年月日 | 1947年 |
身長 体重 |
170 cm 71 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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船見 信幸(ふなみ のぶゆき)は、岐阜県出身の元社会人野球選手。ポジションは内野手。
経歴
岐阜東高校では、1964年の春の選抜に主将として出場。甲子園初出場校同士の対戦となった初戦で、高知県の安芸高校に1対7で敗れる[1]。
中京大学を卒業後、日本楽器に入社。 1970年ドラフト会議で阪神タイガースから4位で指名されるが入団を拒否し[2]、会社に残留。
1972年の第43回都市対抗野球大会では三塁手として出場。2回戦の三菱名古屋、準決勝の西濃運輸戦で3本の本塁打を放つなどチームの初優勝に貢献。チームメイトの新美敏と共に社会人ベストナインに選出。同年、ニカラグアで開催されたIBAFワールドカップ(第20回国際野球連盟世界選手権)日本代表にも選出された。
現在静岡県浜松市西区入野町「南平子供会ソフトボール」監督を務める
表彰
- 社会人ベストナイン(1972年)
脚注
関連項目
- 船見信幸のページへのリンク