房総における伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:30 UTC 版)
千葉県には、大友皇子が壬申の乱の敗戦後に、妃・子女や臣下を伴って密かに落ち延びたとする伝説があり、それに関連する史跡が数多く存在する。 中心となるのは、君津市俵田の白山神社である。皇子はこの地に落ち延び、「小川御所」を営んで暮らしていたが、大海人皇子が差し向けた追討軍による急襲を受けて死亡したとされる。周辺の同市戸崎には、皇子に付き従った7人の侍を葬った「七人士の墓」が存在するほか、皇子とともに房総に下ったとされる蘇我赤兄を祀った飯綱神社が同市末吉にある。 また、残された后の十市皇女は山を分け入って大多喜町筒森の「限りの山」にたどりついたものの、その地で難産(流産)の末亡くなったとされ、地元の里人がこれを哀れに思い、大友皇子と十市皇女の霊を手厚く弔い社を建てたのが筒森神社である。
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