戸次親延とは? わかりやすく解説

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戸次親延

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/25 01:39 UTC 版)

戸次親延(べっきちかのぶ、明応3年(1494年)?-天文20年(1551年[1])は戦国武将豊後国戦国大名大友氏家臣である戸次氏の一族。は親延、親正。通称は右馬助、治部太夫、治部少輔。法名は玄清義山。戸次親貞(丹後守)の五男にあたる。兄弟に戸次親宣、戸次親就(但馬守)、光音寺、普斎寺、永方侍者。子は戸次親繁戸次親宗(治部少輔)、小野鎮幸の妻(立花道雪養女)、沓掛平左衛門鎮昌の妻。戸次親家の叔父で立花道雪の大叔父にあたる。

戸次系図によると、永正8年8月23日(1511年9月25日)17歳の時、室町幕府将軍足利義稙に属す、船岡山の戦いに先鋒として細川政賢の軍陣を破ると功を上げ、感状や刀など恩賞を貰った。

天文20年(1551年)に肥前国小坂の戦いで戦死する。親延の家督は弟の戸次親就が継ぎ、実子の親繁は親就の養子となった[2]

脚注

  1. ^ 柳河藩享保八年藩士系図・下」の立花八次郎系譜。同書の立花小七郎系譜では天文19年(1550年)戦死。
  2. ^ 柳河藩享保八年藩士系図・下」の立花八次郎系譜の親就の記述に『兄親延之嫡男親繁ヲ為養子家ヲ継』とある。

参考文献

 




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