戸次親行とは? わかりやすく解説

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戸次親行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/10 07:45 UTC 版)

 
戸次親行
時代 戦国時代
生誕 天文16年(1547年
死没 永禄8年(1565年[1]
別名 通称:孫五郎
戒名 勇岳院殿哲心宗義大居士
氏族 戸次氏
父母 父:戸次親家、母:養孝院
兄弟 某(早世)、鑑連(道雪)鑑方親行
統春
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戸次 親行(べっき ちかゆき、天文16年(1547年) - 永禄8年(1565年))は、戦国時代武将豊後国大名大友氏、その重臣戸次氏の家臣。大友氏庶流の戸次氏の一族。父は大友氏重臣の戸次親家、母は親家の継室の養孝院。[2]異母兄に戸次鑑連(のちの立花道雪)と戸次鑑方、子に立花統春がいる。

略歴

天文16年(1547年)、戸次親家の四男として生まれる。異母兄の鑑連と鑑方と異なり大友義鑑から偏諱を賜った形跡は見られない。永禄8年(1565年)19歳で病没したため、具体的な事績は明らかにされていない。死後当時2歳だった子の次郎兵衛(後の立花統春)は異母兄の鑑連の下で養育される。統春は立花氏の家督を継いだ鑑連より立花姓を賜り、親行の家系は立花氏嫡流の一門として鑑連・宗茂に側近として重用される。

脚注

  1. ^ 一説は天文4年(1535年)8月14日。旧柳河藩主立花家文書-〔御亡者様御名幷御寺等書上〕この説によると生年は不明。
  2. ^ 異母弟の戸次親行も恐らく、養孝院が他家より引き連れ、養女と結婚した婿養子であるが。夫の親家大永6年(1526年)に病没したので、天文16年(1547年)生まれの親行は親家の実子ではありえない[要出典]

関連項目




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