戸倉と松本千代栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 04:56 UTC 版)
戸倉は丸亀高女で、松本千代栄の母が担当する家事の授業を受けた。1930年(昭和5年)夏、別府温泉で戸倉と松本の母は偶然に再会し、当時小学4年生だった松本はここで初めて戸倉と出会った。その後、東京女高師に進学した松本は戸倉から指導を受け、同じダンスの道に進むことになる。 松本と戸倉が深く関わるようになるのは、松本の東京女高師研究科進学(1943年=昭和18年)以降である。入学してすぐ、松本は戸倉の講習会助手として同行し、札幌から東京・下関・釜山を経て満州国の新京までの長旅を経験した。帰国後の東京は空爆の連続であったが、戸倉は空襲警報が解除となるとすぐに防空壕を飛び出して教授要目にダンスを残す研究を開始したという。 学校体育指導要綱の委員として活動中、松本は理解者が少なくて悩んでいたところ、「私は二階堂先生に私淑したが、同じにはやらなかった。松本君も自分の思うようにやれよ」と声をかけ、松本を激励した。また学習指導要領の作成中には「もし納得できなかったら席を蹴って帰って来い」と、戦中の自身の経験を踏まえて助言した。
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