戦闘直前までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 04:15 UTC 版)
「マージ・アル・サファーの戦い (1303年)」の記事における「戦闘直前までの経緯」の解説
1303年、ガザンはシリアを奪還するためにクトルグ・シャー(英語版)率いる軍を派遣した。アレッポとホムスの住民や統治者はモンゴル軍の侵攻から逃れるためにダマスカスへと逃げた。しかし、マムルーク朝のムザッファル・バイバルスはダマスカスにあって、モンゴル軍と戦うための援軍要請として、エジプト本国のスルタンにメッセージを送った。スルタンは、シリアからモンゴル軍を撤退させるために軍を率いてエジプトを出発し、モンゴル軍がハマス攻撃を行う頃にダマスカスに到着した。モンゴル軍はスルタンの軍と接触するため進軍し、4月19日にダマスカス郊外に着いた。そして、マムルーク軍はマージ・アル・サファーの平野へと進み、会戦の舞台が整った。
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