感応寺_(静岡市葵区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 感応寺_(静岡市葵区)の意味・解説 

感応寺 (静岡市葵区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 17:36 UTC 版)

感応寺
所在地 静岡県静岡市葵区駒形通一丁目5番5号
位置 北緯34度58分16.6秒 東経138度22分40.3秒 / 北緯34.971278度 東経138.377861度 / 34.971278; 138.377861座標: 北緯34度58分16.6秒 東経138度22分40.3秒 / 北緯34.971278度 東経138.377861度 / 34.971278; 138.377861
山号 常住山
宗旨 日蓮宗
創建年 852年
開山 慈覚大師円仁
法人番号 6080005000172
感応寺
感応寺 (静岡県)
テンプレートを表示

感応寺(かんのうじ)は、静岡県静岡市葵区駒形通一丁目にある日蓮宗の寺院。山号は常住山。旧本山は身延山久遠寺、脱師法縁。

歴史

仁寿2年(852年)、慈覚大師円仁により天台宗の感應山瀧泉寺として建立された。立正大師日蓮身延山久遠寺に隠棲する頃の建治2年(1276年)、瀧泉寺の学頭行知法印等5人(のちの日辨、日秀日禅、日慧、日寿)が日蓮宗に改宗、寺名も感応寺と改めた。その後府中浅間神社近くに移転、更に徳川家康の命で現地に移転した。1940年昭和15年)6月20日静岡大火により伽藍をことごとく焼失したが51世智光院日闡により復興した。

伽藍

現在の本堂および庫裏は52世智顕院日浄により再建されたものである。なお、1940年の静岡大火後行われた市の区画整理事業により境内地が半減されている。

かつては、番神堂・大黒堂・鐘楼堂等も建立されていたが、度重なる火災や地震により現在は残っていない。

旧末寺・塔中

日蓮宗は1941年(昭和16年)に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

  • 新光山宗長寺(静岡市葵区沓谷)
  • 長善山浄祐寺(静岡市葵区沓谷)
  • 妙祐山宗林寺(静岡市葵区沓谷)
  • 圓妙山大慶寺藤枝市藤枝四丁目)
    • 大慶寺末:八幡山蓮性寺(焼津市上泉)
    • 大慶寺末:示迹山上行寺(焼津市焼津四丁目)
    • 大慶寺末:岩清山蓮久寺(藤枝市北方)


塔中には三河坊、他五ケ坊を有していたが、戦後の政策により関係は解体された。

参考資料

  • 日蓮宗寺院大鑑編集委員会『宗祖第七百遠忌記念出版 日蓮宗寺院大鑑』 大本山池上本門寺1981年

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「感応寺_(静岡市葵区)」の関連用語

感応寺_(静岡市葵区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



感応寺_(静岡市葵区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの感応寺 (静岡市葵区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS