愛染院_(堺市)とは? わかりやすく解説

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愛染院 (堺市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/18 06:10 UTC 版)

愛染院
本堂
所在地 大阪府堺市北区蔵前町2丁12-12
位置 北緯34度34分36.0秒 東経135度30分53.0秒 / 北緯34.576667度 東経135.514722度 / 34.576667; 135.514722座標: 北緯34度34分36.0秒 東経135度30分53.0秒 / 北緯34.576667度 東経135.514722度 / 34.576667; 135.514722
山号 普光山
宗派 真言宗系単立
本尊 聖観音菩薩
創建年 天平年間(729年 - 749年
開基 (伝)行基聖武天皇(勅願)
文化財 本堂・観音菩薩立像(市指定文化財)
法人番号 6120105000687
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愛染院(あいぜんいん)は、大阪府堺市北区にある真言宗系単立の寺院。かつては真言宗山階派勧修寺の末寺であった。

歴史

文献で確認されるのは、大正11年(1922年)に刊行された『大阪府全志』の「(前略)由緒は詳ならず。境内は五百参拾九坪を有し、本堂・庫裏・納家・薬醫門を存す。外に大師堂、地蔵堂、護摩堂あり。」という記載のみである[1]

寺伝によると、天平年間(729年-749年)に、聖武天皇の勅願によって行基により開かれた花田池浦観音寺が前身とされる[1]

天正年間(1573年-1593年)に織田信長の兵火によって諸堂が焼失。

慶安5年(1652年)に現在の位置に今の本堂が建立。

文化2年(1805年)に本堂の大修理が行われる。付近に領地があった秋元但馬守は当寺への信仰が篤く、大旦那[2]として棟札に名前が残っている。

行事

  • 振舞いぜんざい(節分)
  • 千日会(8月10日)[3]

文化財

堺市指定文化財
  • 本堂 - 江戸時代初期 慶安5年(1652年[4]
  • 観音菩薩立像 - 平安時代後期[5]

交通

脚注

  1. ^ a b 倉橋昌之『堺の四季 平成三年秋季号』堺文化観光協会、1993年、7頁。 
  2. ^ 大旦那とは、勢力のある檀家、布施をたくさん出す檀家の意。
  3. ^ 門を開いた愛染院(2) - 雑記帖”. つーる・ど・堺. 2019年7月5日閲覧。
  4. ^ 愛染院本堂”. 堺市. 2019年7月5日閲覧。
  5. ^ 観音菩薩立像(愛染院)”. 堺市. 2019年7月5日閲覧。

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