忽那重清とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 忽那重清の意味・解説 

忽那重清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/05 05:37 UTC 版)

 
忽那重清
時代 鎌倉時代後期-南北朝時代
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:弥次郎、のち次郎左衛門尉[1][2]
官位 式部少輔伊勢守
主君 新田義貞足利尊氏
氏族 忽那氏
父母 父:忽那重義
兄弟 重清義範
重勝親重
テンプレートを表示

忽那 重清(くつな しげきよ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代武将

経歴

伊予国忽那諸島を本拠とした水軍[1]元弘元年(1331年後醍醐天皇に呼応し挙兵(元弘の乱伊予宇都宮氏の討伐に加わり、伊予各地で戦う[3]。のち新田義貞に従い建武政権に反した足利尊氏の討伐に参陣し、洞院実世の麾下として東山道を進み信濃大井城で敵を討ち、更に京都などでも天皇方として戦う[2][3]。その後建武3年/延元元年(1336年)尊氏が九州から京都へ向かった際は足利方に転じ、吉見氏頼麾下として足利直義勢に従う[3]。京都では宮方を掃討し、伊予では細川[注釈 1]河野氏を助けて戦った[3]。ほか安芸などで戦い活躍を見せるが、晩年は、南朝方の弟義範に圧倒され歴史の表舞台から姿を消した[1][2]

脚注

注釈

  1. ^ 細川氏(京兆家)の分家のひとつである野州家。

出典

  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『忽那重清』 - コトバンク
  2. ^ a b c 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『忽那重清』 - コトバンク
  3. ^ a b c d 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.170(1985)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「忽那重清」の関連用語

忽那重清のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



忽那重清のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの忽那重清 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS