志賀賢太郎の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:50 UTC 版)
「グローバル・ハードコア・クラウン」の記事における「志賀賢太郎の時代」の解説
2006年9月、志賀賢太郎がスコーピオからタイトルを奪取。難病を克服し、苦労人として知られる志賀の初の王座獲得とあって、多くのファンが祝福した。折しも志賀はパンチパーマの「アニキ」キャラでブレイク中であり、以後の防衛戦でも罰ゲームや場外に転落したら負けといったルールの導入など、オープンな発想でタイトル戦を盛り上げていった。 防衛第3戦は、ZERO1-MAX(現:ZERO1)のリングアナであるオッキー沖田が、「ZERO1-MAXのアニキ」こと神風(現:KAMIKAZE)を挑戦させてほしいと表明し、志賀からの「沖田もパンチパーマをかける」という条件が果たされたため「アニキ」対決が実現。2006年12月にZERO1-MAXの後楽園ホール大会にてランバージャックデスマッチでのタイトル戦が行われ、泉田純至、太田一平らのパンチ軍団の活躍もあり、志賀が防衛に成功した。こうした動きはタイトル管理者の秋山準も「白GHCは志賀にふさわしいベルトである」と評価していた。
※この「志賀賢太郎の時代」の解説は、「グローバル・ハードコア・クラウン」の解説の一部です。
「志賀賢太郎の時代」を含む「グローバル・ハードコア・クラウン」の記事については、「グローバル・ハードコア・クラウン」の概要を参照ください。
- 志賀賢太郎の時代のページへのリンク