徴用漁船の使用分類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 17:34 UTC 版)
「焼津港の徴用船」の記事における「徴用漁船の使用分類」の解説
陸軍 日中戦争の初期では、暁部隊輸送部隊に配属され、港内での本船と着船場間の輸送や、揚子江をはじめとする河川・水路沿岸地域での弾薬や食料などの軍需品輸送、上海より上流の九江を輸送基地としての南京、漢口方面への軍需品輸送に当たっていた。水路が輻輳する華中・華南地方では、輸送のために小型船舶が必須とされたという事情があった。 太平洋戦争開戦後は南方にも派遣され、中国戦線と同様に軍需品などの輸送に従事した。当初は沿岸や狭水路等での輸送任務が主体であったが、1942年頃からは制空権喪失下での隠密輸送・強行輸送にも動員され、被害が急増することとなった。 南方に展開している兵隊に対する魚の提供目的に、漁獲、運搬した。 海軍 海軍に徴用された船舶は、すべて「特設」(特設艦船)として32種類に分類された。 漁船は一般徴用(裸徴用)ともいわれ、雑用船として使用された。 その後、特設監視艇として、北東太平洋に展開している米軍を監視し、無線で連絡した。しかし、その無線内容はほとんど米軍に解読され、日本軍および徴用船の被害を拡大させることになった。 軽武装を施し、南洋群島に展開する海軍に、砲艇として配属された漁船もあった。なかには、日本軍艦を狙った米軍の魚雷の楯となった漁船もあったという。 農林省 農林省が募集した船舶は、「特殊漁船」として徴用した。 「特殊漁船」は、海軍の管轄に置かれ、海軍から支給される燃料を使って、海上監視しながら漁獲操業をした。漁獲物は海軍が優先買いをし、余ったものを三崎港で販売し、軍からは最低補償を支給された。 これら特殊漁船は、戦争末期には、操業中に、急遽、戦没した監視艇の代用船として配属された漁船もあった。 北海道への物資輸送として、青函連絡船の不足補充にあてられた漁船もあった。
※この「徴用漁船の使用分類」の解説は、「焼津港の徴用船」の解説の一部です。
「徴用漁船の使用分類」を含む「焼津港の徴用船」の記事については、「焼津港の徴用船」の概要を参照ください。
- 徴用漁船の使用分類のページへのリンク