御由緒
御由緒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 15:49 UTC 版)
「倭文神社 (鳥取市)」の記事における「御由緒」の解説
續日本紀和銅五年(712)秋七月の條下ニ、因幡國ニ於テ綾錦ヲ織ラシメラレシ由ヲ記セルニ依ツテ考フレバ、此ノ年以前巳ニ当社祭神 建葉槌命ノ子孫ニシテ、大和國葛木(=葛城)地方ニ本居ヲ有シ機織ヲ業トセル倭文部ノ部民ガ、当地ニ来往シテ本居ニ従ツテ倭文郷ヲナシツツ祖業ヲ継承シ来タリシモノノ如ク、ヤガテ其ノ氏上神ニシテ業祖神タル建葉槌命ヲ奉斎シテ当社ヲ創始セルモノト思料セラル。
※この「御由緒」の解説は、「倭文神社 (鳥取市)」の解説の一部です。
「御由緒」を含む「倭文神社 (鳥取市)」の記事については、「倭文神社 (鳥取市)」の概要を参照ください。
御由緒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 06:05 UTC 版)
1838年(天保9年)江戸城・西の丸が焼失し、再建のため裏木曽・木曽山中より御用材を大量伐採した。伐採当初より山中で山鳴り・山火事等の怪奇現象が続出し、江戸城・大奥にまで怪奇現象が発生した。数々の怪奇現象は山神の祟りによるものとした江戸幕府は、即刻伐採した全ての切株に注連縄を張り巡らし、山神慰藉の祭典を執り行わせた。 1840年(天保11年)、第12代将軍・徳川家慶の霊山(木曽山)鎮護を趣旨とする台命により奥社が創建された。さらに祭典・参拝の利便を図り、1843年(天保14年)に本社が創建された。奥社・本社創建に関わる現場の指揮と、創建後の神社経営は、木曽山林を管轄する尾張藩に託された。以来、尾張藩の祈願社・木曽林政の象徴として歴代藩主の崇敬篤く、当時は尾張十社の一つに数えられた。 維新後、御料林(皇室所有の森林)・神宮御造営材備林(神宮備林)の守護神として帝室林野局から崇敬された。1873年(明治6年)付知村・加子母村を氏子区域として郷社に列格され、1923年(大正12年)に岐阜県の県社に昇格した。 戦後、1958年(昭和33年)、岐阜県神社庁より金幣社に指定され、現在に到る。
※この「御由緒」の解説は、「護山神社」の解説の一部です。
「御由緒」を含む「護山神社」の記事については、「護山神社」の概要を参照ください。
- 御由緒のページへのリンク