徐敬徳 (李氏朝鮮)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 徐敬徳 (李氏朝鮮)の意味・解説 

徐敬徳 (李氏朝鮮)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 03:11 UTC 版)

徐敬徳
各種表記
ハングル 서경덕
漢字 徐敬德
発音: ソ・ギョンドク
日本語読み: じょ けいとく
テンプレートを表示

徐 敬徳(ソ・ギョンドク、じょ けいとく、서경덕、1489年2月17日 - 1546年7月7日)は、李氏朝鮮中期の儒学家である。本貫は唐城徐氏[1]南陽徐氏の分籍[2])。字は可久。号は花潭、復斎。妓生黄真伊朴淵瀑布とともに、「松都(松京)三絶」と並び称される。

経歴

開城に生まれ、寒微(下層階級)の出身であるが早くから苦学し、1531年、科挙生員試に応じて合格し、1540年、大提学の金安国によって「遺逸の士」として推挙されたが、生涯仕官せず、弟子を育成した。北宋張横渠邵康節の学説の影響を受け、南宋朱子学の理元論に反対し、朝鮮で初めて気一元論の唯物論(無神論)的で弁証法的な哲学を打ち立てた。

作品

  • 花潭集(화담집)
  • 原理気(원이기)
  • 理気説(이기설)
  • 太虚説(태허설)
  • 鬼神死生論(귀신사생론)

弟子

脚注

  1. ^ 서경덕(徐敬德)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年1月12日閲覧。
  2. ^ “唐城 徐氏 (당성 서씨)”. 부천족보전문도서관. オリジナルの2022年11月30日時点におけるアーカイブ。. https://archive.md/hYkwg 

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「徐敬徳 (李氏朝鮮)」の関連用語

徐敬徳 (李氏朝鮮)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



徐敬徳 (李氏朝鮮)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの徐敬徳 (李氏朝鮮) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS