当時の菅山村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 03:48 UTC 版)
東側は海岸から続く平野で水田が多く、西部はいわゆる牧ノ原台地の南端に当たる丘陵地帯で、茶畑が多かった。村の東側を県道(現・国道473号)が走り、金谷駅と相良町を結ぶバスが通っていた。人口2千人足らずの、小さな農村であった。 村の西部の、大字菅ヶ谷字新田、字時ヶ谷にあった日本石油相良精油所(相良油田)は、太平洋側では唯一の油田として知られ、1884年の最盛期には721.6klを採掘し、主に灯油(石油ランプの燃料)として利用された。戦後、産油量が激減し、1955年に廃坑した。
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