弾正橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 07:51 UTC 版)
江戸南町奉行時代、現在の北八丁堀付近に屋敷があり、付近にあった楓川に架かる橋が利正の官名にちなんで弾正橋と名付けられた。明暦の大火の後に島田家の屋敷は湯島に移るが、弾正橋の名称はそのまま残った。また、歴代の弾正橋のうち、明治時代初期に国産初の鉄橋として再架されたものは現在、江東区の富岡八幡宮そばに八幡橋として移築されている。
※この「弾正橋」の解説は、「島田利正」の解説の一部です。
「弾正橋」を含む「島田利正」の記事については、「島田利正」の概要を参照ください。
- 弾正橋のページへのリンク