張氏の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 16:22 UTC 版)
粛宗の正妃の仁敬王后が1680年に男子を生まないまま天然痘によって死去した後、新たに仁顕王后が継妃に迎えられたが、数年たっても息子を出産できずにいた。そんな中、女官であった張氏はずば抜けた容貌によって承恩(王からの寵愛)を受けたが、彼女をきわめて奸悪と評した大妃・明聖王后により宮廷から追放された。明聖王后の死後に張氏は宮廷に復帰するが、粛宗の寵愛が日を追うごとに増して彼女は驕慢で気ままな女に急変していき、臣下が張氏の追放を求めるも粛宗は声を荒げてその者を処罰した。張氏が後宮に封じられて厚遇を受けると、西人の多くが張氏による禍乱を恐れてその待遇に異を唱えた。一方の南人は張氏を全面的に支持し、西人と南人の対立が鮮明になった。 1688年、張氏は男子・昀を生んだ。粛宗が王位についてから初めての王子誕生であった。
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