弓弭(ゆはず)の泉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:52 UTC 版)
「正覚院 (岩手県岩手町)」の記事における「弓弭(ゆはず)の泉」の解説
本堂右奥に所在。北上川の源として古くから知られている。天喜5年(1057年)、前九年の役のころ、源頼義、源義家父子がこの地を平定するために軍勢を進めていたところ、飲料水がなく、兵馬が苦しみ始めた。そこで天に拝して観音菩薩に念じながら、義家が持参の弓の「弓弭」で岩を突いたところ、清水が湧き出て、兵馬が喉を潤すことができたと伝えられている。その後、康平5年(1062年)、義家は無事に敵将安倍貞任を討つことができ、その帰りにここに堂を建立し、自分の頭髪の中に入れて戦ったという小さな観音像をここに安置したといわれている。これが「御堂観音」の由来とされている。その際寄進したという陣中釜は今も寺にあり、本堂の千手観音像は南部氏がこの地を領した際に守り本尊として護持し、現在に及んでいる。泉は、北上川源泉地として、古来涸れることなく、北上川に注ぎ、人々から崇められてきたといわれている。
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