弓弦羽の瀧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/14 05:31 UTC 版)
一名龍王山大瀧、又は稲妻の瀧。住宅開発で水量は衰え、阪神大水害により滝壷が埋まって形を変えたが、かつてはこの滝を最大として大小12の滝があったと伝えられる。徳本庵(上人寺とも、白鶴美術館の横にあったが、大水害で消滅。現在の徳本寺)の上人が行場とし、一般里人の間にも滝に打たれて行したり、病気平療の祈祷を籠めるものが少なくなかった。大正時代には白山大権現など多数の石碑が建てられた修験場として栄え、上人寺第六代住職弘譽が一帯を甲南園と称して開拓しようとしたが大正6年に志半ばで没した。
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