府中の不破氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/01 22:08 UTC 版)
山城国西之岡の住人松井蔵人直家は、六波羅探題に仕え、元弘元年(1331年)の笠置山落城の際に後醍醐天皇を探し出して、鎌倉幕府から恩賞として美濃国に数か所の荘園を得ると、不破郡府中村に移住して不破氏と改姓し、子の直重以下も代々府中村に住んだと伝わる。直家との系譜は明確でないが、『美濃国諸家譜』によると、府中城主不破河内守直道は長禄元年(1457年)に土岐氏の家督争いで揖斐左近太夫基春らに与して斎藤利永らと戦って武功があった。その子不破小太郎は、応仁の乱に土岐成頼に属して山名宗全方に加わった。その子不破孫左衛門道広は西之保城(西保村 (岐阜県)、現・岐阜県安八郡神戸町西保)に移り、道広の孫が不破光治であるという。
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