広義の煙詰の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 20:27 UTC 版)
煙詰の黎明期に何問もの作品を発表した田中鵬看は、玉も加え40枚の駒を配置した作品を3作1960年に発表している。『宇宙』『地影』『人生』と名づけられたこの3作が最初の双玉煙である。 その田中は「小駒だけでは玉を捕らえられない」と予測していたが、1963年に黒川が『嫦娥』を発表してこの予想を覆した。この作品が初の小駒煙である。翌1964年、山田修司は、歩なし煙『織女』と貧乏煙(最初に金銀以外の31枚を配置する)『牽牛』を発表した。初形が39枚でない主な煙詰はこの時点で一通り出揃ったといえる。 駒が4枚残る都煙は1967年に駒場和男によって発表された。『夕霧』『かぐや姫』『父帰る』と名づけられた三部作は、発表された当初煙詰として認めるべきか議論が起こったが、現在は煙詰の一分野として認められている。
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