幸島村 (岡山県)とは? わかりやすく解説

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幸島村 (岡山県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 14:45 UTC 版)

こうじまそん
幸島村
廃止日 1953年2月1日
廃止理由 新設合併
上道郡古都村西大寺町可知村光政村津田村九蟠村金田村、邑久郡豊村太伯村幸島村邑久町(一部)→ 西大寺市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
邑久郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,499
国勢調査、1950年)
隣接自治体 太伯村、大宮村朝日村、上道郡九蟠村
幸島村役場
所在地 岡山県邑久郡幸島村大字南幸田
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幸島村役場跡の石碑

幸島村(こうじまそん[1])は、岡山県邑久郡にあった。現在の岡山市東区の一部にあたる。

地理

吉井川と千町川下流の左岸一帯に位置していた[2]

  • 海洋:瀬戸内海
  • 島礁:東幸島、西幸島、鍋島、百島、外波島、大羽島、鳩島、中羽島、小羽島、城島、玉島、小山、ビシャゴ岩、鞍掛岩[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、邑久郡東幸西村、西幸西村、南幸田村、北幸田村、東幸崎村、西幸崎村が合併して村制施行し、幸島村が発足[1][2]。旧村名を継承した東幸西、西幸西、南幸田、北幸田、東幸崎、西幸崎の6大字を編成[2]
  • 1892年(明治25年)水害で大きな被害を受けた[2]
  • 1893年(明治26年)水害で大きな被害を受けた[2]
  • 1924年(大正13年)水門郵便局開設[2]
  • 1934年(昭和9年)水害で大きな被害を受けた[2]
  • 1941年(昭和16年)帝国人造肥料(帝国化工)が外波崎に設立[2]
  • 1945年(昭和20年)水害で大きな被害を受けた[2]
  • 1946年(昭和21年)昭和南海地震で大きな被害を受けた[2]
  • 1953年(昭和28年)2月1日、上道郡古都村・西大寺町・可知村・光政村・津田村・九蟠村・金田村、邑久郡豊村・太伯村・邑久町(一部)と合併し、市制施行し西大寺市を新設して廃止された[1][2]

地名の由来

近世以来の幸島新田にちなむ[2]

産業

  • 農業、酒造、製材、製粉、漁業[2]

交通

県道

教育

  • 1889年(明治22年)進化小学校(大字西幸西)と有隣小学校(大字西幸崎)が合併し幸島尋常小学校が設立[2]。1907年(明治40年)大字南幸田に移転[2]。1919年(大正8年)山南実務学校を併設[2]
  • 1898年(明治31年)私立上島裁縫校(窪田伊勢設立)開校[2]
  • 1926年(大正15年)幸島幼稚園開園[2]
  • 1947年(昭和22年)山南中学校開校[2]
  • 1948年(昭和23年)幸島女子専修学院開校[2]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』303頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『角川日本地名大辞典 33 岡山県』447-448頁。

参考文献

関連項目




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