平野拓也_(科学技術官僚)とは? わかりやすく解説

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平野拓也 (科学技術官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 05:52 UTC 版)

平野 拓也(ひらの たくや、1935年1月8日[1] - )は、日本の元大蔵官僚・科学技術官僚。大阪府大阪市出身[2]

人物

国家公務員採用中級試験(行政)に合格し[3]大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部外国語学部中国語学科を卒業して1959年大蔵省に入省するが、同年国家公務員採用上級試験(行政)に合格し、その後科学技術庁に事務系官僚として入る[2][4][5]。その後、航空宇宙技術研究所管理部長、原子力局長、官房長、科学審議官を経て、1992年に事務系として初の科学技術事務次官となる[2][4]

1994年に定年退官。その後に海洋技術センター理事長に就任。

1995年の大阪府知事選挙自民党社会党など日本共産党以外の政党から支援されて無所属で立候補するが[2]、無党派の横山ノック(無所属)に敗れて落選。

その他

脚注

  1. ^ 『日本人事録』1994年版、官庁之部20頁。
  2. ^ a b c d e f 「平野拓也さん(主な候補者横顔:下 95大阪府知事選) /大阪」『朝日新聞朝日新聞社、1995年3月27日。
  3. ^ 官報昭和34年本紙第9642号 288頁
  4. ^ a b 「科技次官に平野拓也 科学技術庁人事」『朝日新聞』朝日新聞社、1992年6月17日。
  5. ^ 官報昭和34年本紙第9809号 44頁

参考文献

  • 『日本人事録』1994年版、株式会社人事ジャーナル、1993年。
先代
松井隆
科学技術庁原子力局長
1988年 - 1989年
次代
緒方謙二郎
先代
石塚貢
科学審議官
1991年 - 1992年
次代
村上健一
先代
石塚貢
科学技術事務次官
1992年 - 1994年
次代
村上健一



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