平野将監入道の投降と処刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 18:45 UTC 版)
「上赤坂城の戦い」の記事における「平野将監入道の投降と処刑」の解説
楠木党が水を飲めなくなってから12日が経過して力尽き、火矢を消す水もなく櫓もほぼ破壊されたため、兵たちは玉砕しようと城の入り口を開けた。しかし、城主の平野将監入道は、部下たちの鎧にすがって必死に説得を試み、「このように喉が渇いた状態で戦ったとしても、大したことができる訳ではないから、無駄死にだ。しかも、正成の千早城も陥落していないし、天下の趨勢はまだ定まっていない。それよりも投降して生き延び、機会を見計らうべきだ」と訴えた。これには部下たちも説得され、翌日、幕軍との交渉の結果、282人が投降した。 しかし、赤坂城攻め副将の長崎高貞は助命の約束を裏切り、楠木党の投降兵を六波羅探題に引き渡した。六波羅は評議の結果、軍神への祝い事、血祭りとして、投降兵全員を六条河原で打首・獄門にかけて晒し首にした。 これを聞いた千早城の籠城兵ら反幕府軍の者たちは、投降しても命が助かる見込みはない、と覚悟し、かえって獅子のように戦意を高めるのであった。
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