左院の法典編纂事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
左院では、明治六年政変により江藤が下野した後も『皇国民法仮規則』を再検討、同年後半から翌年にかけて、家族法につき『左院民法草案』が成立。新副議長伊地知正治を中心に、日本固有法を基礎に仏法を斟酌した結果、戸主による統率や家督相続制など、家族主義の強いものになった。 ただし、婚姻や戸主以外の死亡時の遺産相続など、分野によってはもっぱら仏法準拠の上、左院の憲法草案は西洋法の模倣に過ぎるとして廃棄された側面がある。
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