左遷と復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 09:55 UTC 版)
だが、至正4年(1344年)5月にマジャルタイが恵宗によって甘粛に追放されると父に従って辞職した。その5月、たまたま黄河が大規模な氾濫を起こすが、政変直後であり朝廷は対策が遅れた。 至正7年(1347年)の父の死後にその冤罪が明らかになると、至正9年(1349年)には再び呼び戻されて中書左丞相となり、翌至正10年(1350年)に右丞相に復して政権を授かった。トクトは新しい紙幣「至正交鈔」の発行も行い、賈魯に黄河の大改修を命じ、民心を回復させようとした。タルカンの称号を賜り、「賢相」と讃えられた。
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