岩城升屋事件
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浪士組の流れを引く壬生浪士組は、本来は尊王攘夷を掲げて結成された組織だったが、会津藩預かりとなってからは不逞浪士の取締りに専念するようになる。 文久3年(1863年)10月、将軍徳川家茂を警護するために大坂滞在中、高麗橋傍の呉服商・岩城升屋に不逞浪士数名が押し入る事件が起きた。山南は土方と岩城升屋に駆けつけ、激戦の末に不逞浪士を撃退した。この功により山南は松平容保から金8両を賜っている。 このとき山南が使った「播州住人赤心沖光作」の銘が入った2尺8寸5分(約86.4センチメートル)の刀は、激しく刃こぼれして切っ先から1尺1寸(約33.3センチメートル)のところで折れている。この刀の押し型(刀の形を紙に写し取ったもの)は土方の手で小島鹿之助に送られ、現在も小島資料館で見ることができる(ただし展示品は模写)。大正13年(1924年)に刊行された『維新史蹟図説』は「鴻池別邸」としているが、この事件で山南は左腕を負傷したという。
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