岩倉城_(加賀国)とは? わかりやすく解説

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岩倉城 (加賀国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 09:52 UTC 版)

岩倉城(いわくらじょう)は、石川県小松市位置するである。城主は沢米左衛門

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岩倉城(加賀国)
石川県
城郭構造 連郭式・梯郭式
築城主 一向宗門徒
築城年 1532年(天文元年)
主な城主 沢米氏
廃城年 1573年(天正元年)
遺構 土塁・堀切・曲輪・竪堀
指定文化財 なし
位置 北緯36度39分30秒 東経136度36分20秒 / 北緯36.65833度 東経136.60556度 / 36.65833; 136.60556座標: 北緯36度39分30秒 東経136度36分20秒 / 北緯36.65833度 東経136.60556度 / 36.65833; 136.60556
地図
岩倉城 (加賀国)
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歴史

築城

岩倉城は享禄元年(1528年)~天文元年(1532年)に一向一揆勢によって築城された。[1][2]

目的

一向宗門徒が、越前戦国大名朝倉氏の加賀領内への侵入阻止するために築いたものです。[3]

加賀国守護富樫氏を降した一向一揆に対抗して加賀に侵攻した朝倉氏に対する備えとして築かれたという。[2]

地形・間取り

地形

城は上麦口町の北東標高296m山頂に築かれている。

間取り

主郭に長く周囲に不整形の土塁が巡り、北端に台がある。虎口北西、北東、南西の三か所にあり、北西の虎口は馬出しとなっている。[2]

アクセス

電車

脚注

  1. ^ 岩倉城の見所と写真・100人城主の評価(石川県小松市) | 攻城団(日本全国のお城情報サイト)”. 攻城団. 2025年6月15日閲覧。
  2. ^ a b c 加賀 岩倉城”. 城郭放浪記. 2025年6月15日閲覧。
  3. ^ 石川県観光連盟. “岩倉城址遊歩道|スポット|【公式】石川県の観光/旅行サイト「ほっと石川旅ねっと」”. 石川県観光公式サイト. 2025年6月16日閲覧。



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