岡組・村上組の動き
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1945年(昭和20年)8月ごろ、天本菊美の子分であった岡敏夫が土木建築請負「岡組」の看板を掲げた。親分である天本が引退した後、岡がその跡目を受継ぎ、主として広島市東部一帯に勢力を張った。 またその同じころ、神農会秋月一家の流れをくむ祐森松男の身内だった村上三次が、テキヤ・村上組を結成した。村上組は広島駅前の一帯をなわ張りにして勢力を張った。村上三次の次男・村上正明は愚連隊の首領となっていた。村上正明と村上組幹部・村戸春一、村上組幹部・菅重雄は、岡の舎弟分だった。
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