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岡島一夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 15:48 UTC 版)

岡島一夫
おかじま かずお
生年月日 1932年5月15日
出生地 愛媛県
没年月日 (2003-04-12) 2003年4月12日(70歳没)
死没地 愛媛県松山市
出身校 早稲田大学政治経済学部
前職 愛媛県議会議員
称号 政治経済学士

当選回数 4回
在任期間 1981年 - 1998年

当選回数 3回
在任期間 1971年 - 1981年
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岡島 一夫(おかじま かずお、1932年昭和7年)5月15日[1] - 2003年平成15年)4月12日)は、日本の政治家愛媛県今治市長。

経歴

早稲田大学政治経済学部卒業。

代議士の秘書を経て、1971年愛媛県議会議員に立候補し初当選を果たした。県議会議員3期目の途中で議員を辞職し、1981年今治市長選挙に立候補した。市長選挙では現職の羽藤栄市を破り、初当選を果たした。

市長時代には学校給食での自校方式導入や下水道の普及、今治駅周辺の鉄道高架事業、今治港富田地区の整備などを進めた。

今治港富田地区の整備では織田が浜の埋立を巡って住民から反発の声が起こり、反対住民が公金支出差し止めを求め1984年に提訴した[2]。裁判は最高裁まで続き、1995年に最高裁が「埋め立てに違法性はない」との確定判決を下し住民側が敗訴した[2]

市長の4期目の1997年には体力への不安や多選は好ましくないとの考えから引退を表明した[3]。後継者には今治市の総務調整部長などを務めた繁信順一を指名した。1998年の今治市長選挙では繁信を支援し、繁信は当選を果たした[3]

2002年勲三等瑞宝章を受章[4]

2003年にすい臓がんで死去(享年70)[5]

略歴

脚注

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、371頁。
  2. ^ a b 新せとうち学 - 中国新聞、2013年10月30日閲覧。
  3. ^ a b 『朝日新聞』1997年9月27日朝刊「今治市長、今期限りで引退表明『体力に不安・多選よくない』」
  4. ^ 「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊
  5. ^ 岡島一夫氏死去 前愛媛県今治市長 - 47NEWS(2003年4月12日)、2013年10月30日閲覧。



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